from…痛みを共有するということ
キャンプをすることにはいくつもの喜びがあります。そのひとつが「人と人、自分と他者がつながっていると実感できること」です。そうして、喜びや感動を共にすることができる瞬間は、至福の時となります。
地震から数日後のことです。被災し、九死に一生を得たご夫婦のお話をうかがう機会がありました。被災された時の状況や避難生活のことを語ってくださり、心のうちにあるたくさんの思いをお聞きすることができました。そのお話に地震や津波の大きさを改めて知り、死と向かい合うこと、生きることの意味を深く考えさせられました。
東日本大震災では、多くの方が亡くなりました。そしてそれ以上に多くの方が、身近な大切な人を亡くされ、家や学校、職場を失いました。私には、その心の痛みを本当に理解することはできないのかもしれません。せめて、少しでもその痛みを共有することができればと願うばかりです。つながることで、喜びや感動を共有することができます。しかし、つながることはまた、痛みをも共有することなのだと、改めて認識します。
避難場所で行われたレクリエーション・プログラム中に、突然、ある子どもが家族を失ったことを話しだしました。一瞬ハッとして、話題を変えて気持ちをそらせるのがよいのか、そのまま話を聴くのがよいのか悩んでしまいました。
被災地の状況は、2 か月以上が過ぎた今もなお復興への道は遠く、3 月11 日以前とは大きく異なる環境の中で生活をされている方がたくさんいます。そして、少しでも日常生活を取り戻そうと、日々の営みが積み重ねられています。
生活基盤である家がない、仕事がないという状況で大きな不安を感じている家族の気持ちを、子どもたちは小さいながらも敏感に感じ取っています。そして、「がんばっている姿を見せて、まわりの人を安心させよう」と、多くのことをがまんし、がんばっています。
子ども時代には、その時々に応じた「かなしい」とか「うれしい」という気持ちを持つこと、そして、悲しい時、つらい時に思いっきり泣き、楽しい時に心から笑うことが必要です。その時に、いっしょに悲しんでくれたり、笑ってくれたりする人がいることで、ひとりではないと安心したり、未来に希望を持つことができるのだと思います。それは、子どもたちの今後の生き方に大きな意味をもちます。
子どもたちに寄り添い、つながって、喜びや感動、そして時には痛みや悲しみをも共有することこそ、私たちキャンプに携わる者ができることではないでしょうか。私たちにはこの点において研鑽を重ね、3 年、5 年、10 年とかかわり続けていくことが求められています。